会社概要
社名 | 株式会社ピーク・トラック |
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所在地 | 〒359-0037 埼玉県所沢市くすのき台1-13-2 ガーデンシティ所沢2F |
代表者 | 金井 篤史 |
設立 | 2016年1月14日 |
事業内容 | ホームページ制作・マーケティング |
連絡先 | Tel:04-2935-3409 |
ご挨拶
数あるホームページの中から、弊社のホームページをご覧いただきありがとうございます。株式会社ピーク・トラックの代表 金井です。
2016年に法人化し、2023年で7年が経ちました。最初はホームページ制作だけを請負うつもりで企業様とお取引させていただいておりましたが、訪問してホームページの活用方法等をご案内しておりますと、「継続してコンサルティングをお願いしたい」という嬉しいお声を多くいただくようになりました。
お取引させていただく企業様のお役に立てれば、こんな嬉しいことはありませんので、現在はホームページ制作をきっかけとして、集客に役立つ情報はもちろん、ネットに関する様々な情報もお伝えしています。
また、お客様からも様々なご相談をいただくようになり、社内のIT化のお手伝いをさせていただいたり、経営者様と家族ぐるみのお付き合いをしていただいているようなところもございます。
2024年には、中小企業や個人事業主、小規模事業者様のためのマーケティング手法である、コーペラティブマーケティング(cooperative marketing )、コーペラティブSEO(cooperative seo)を発案、提唱させていただきました。
まだまだ足りない点もございますが、今後もお役に立てるよう有益な情報収集やスキルアップに努めてまいります。
どうぞよろしくお願いいたします。
代表の履歴書
マーケティングとITとの出会い
199X年 専修大学経営学部経営学科に入学しました。そこで初めてマーケティングと言うものに出会いました。そしてマーケティングリサーチについて研究するゼミに入りました。
大学では経営学やマーケティング絡みの書籍をたくさん買わされましたが、中でも一番頭に残っているのはコトラーの『マーケティング原理』です。これの何が一番頭に残っているかというと、その分厚さと値段の高さです(笑)
学生の私にとって、あの値段の書籍を買うのはちょっと重かったですが、それでも古本ではなく新品を購入しました。
ゼミではマーケティング全般についてさらに研究しました。
ゼミで学んだマーケティングリサーチは、いわゆる市場調査というもので、新商品を開発する際に行うアンケートの作成から、調査方法、そして調査結果を分析するというのが主な研究課題だったように思います。
その調査結果の分析で、初めてコンピュータとプログラミング言語に出会いました。当時はパソコンを持っているのって比較的マニアな人達だけでしたし、私もパソコンなど触ったことも有りませんでした。
学んだプログラミング言語はCとCOBOLでしたが、初めて触れるプログラミング言語は新鮮で興味深かったです。
ここまで読んでいただくと、すごく真面目に勉強した学生だったのだろうと思われるかも知れませんが、決してそのようなことはなく、勉強するよりバイトしている時間の方が長かったくらいです。
ゼミは当時も人気で、誰でも入れる訳では無かったのに選考していただき、せっかく入れていただいたのにバイトに明け暮れ、本当に本当にもったいない事をしました。今なら間違いなく誰よりも積極的に研究に没頭したはずなのですが・・・
ただ、結果的にこの時に学んだ世界にずっと携わることになりました。
日本NCRに入社
私はバブル崩壊ギリギリの就職活動をしていまして、まだ当時は売り手市場で面接に行くとパーティーを開いてくれていたような時代でした。
私は元々自営業とか経営に興味があったので、一旦は会社に就職して3年ほど勉強させていただいたら、退職して自分で事業をやりたいと考えてました。
そこでどんなスキルを身につけるのが一番自分にとって良いかと考えたときに、やはり経済に詳しくなるかITに詳しくなるかのどちらかだと考えていました。
実は某証券会社に内定をいただき、ほぼそこに就職するつもりでいたのですが、ちょうどその頃バブルが崩壊して証券会社は危ないと言う噂が出回ったので、急遽変更して別に内定をいただいていた日本NCRに入れていただきました。
その当時は研修期間が長く、入社して1年間はOJTも交えながら研修。その時にITの世界のことを勉強し、またSE研修ということでやはりプログラミングを学びました。自分にはITの世界やプログラミングは合っていたようで、この頃は多分誰よりもITのことを勉強しました。時間が有れば会社の図書室でITの書籍を読み漁っていました。
その後配属されたのは希望通りで、流通業向けのシステムを販売する営業部に配属されました。営業と言っても、あまり飛び込み営業をしたり、新規の営業先を探して電話してアポを取るというようなことをするような会社ではなかったです。なので自分で勝手に飛び込み営業したり、日経新聞で読んだ情報から目ぼしい企業に電話してアポを取ったりもしていました。
プログラミングが面白いと思ったのに、なぜ営業?と思われるかも知れませんが、プログラミングは楽しいですが自分に向いているのは人と接する機会の多い営業だと考えたからです。
そんな勝手なことが許されたのは、やはり外資系というこの会社の風土だったからだと思います。今では上司を肩書ではなく「さん付け」で呼ぶところも多いと思いますが、その当時は珍しかったと思います。肩書も課長とか部長ではなく、アルファベット2文字の肩書でしたから。
日本NCRというと一般的には知名度が低い企業ですが、優良企業ですし、業界では有名で、IBMやNEC、富士通などとは良く競合していました。
社員教育も非常に熱心に行っていた会社で、会社としての営業力は高かったようです。その当時の同期はあちこち転職していますが、みなさんマイクロソフトとか世界的に有名なコンサルティング会社に散らばっていて、華々しい経歴を積んでいらっしゃいます。
さて、そんな優良企業に就職させていただいた訳ですが、前述の通り3年で辞めようと初めから決めていました。
ところが、3年と言っても最初の1年は研修ですし、企業の根幹をなすシステムの営業ですから入ってすぐの営業マンが活躍できるような場はなく、3年ではなかなかスキルを身につけるのは難しかったです。
そう言う訳でそのまま続けることにして、結局7年ほど勤務させていただきました。
2002年 ダイビングスクールを開業
2002年 ダイビングスクール アズールマリノを開業いたしました。
ダイビングスクールと言うと海に潜るのがお仕事ですが、やはり競争の激しい業界でもありますので生き残るためにマーケティングは重要です。
そして、ここで培ってきたことが何より今の自分の力になっています。
肌身で経営を学べましたし、様々なマーケティングも実践してきました。ホームページ運営、SEO対策、SNS活用、ネット通販、ネット広告、アナログ広告、インフルエンサーマーケティングなど、様々な施策にチャレンジしてきました。
開業前には経営計画を自己流で作りましたが、確か10年くらいして見返したときに、予想していた数字とかなり近く、順風満帆でほぼ計画通りに経営することができました。
2016年 株式会社ピーク・トラックを設立
東日本大震災をきっかけにダイビング事業以外にも目を向けるようになり、大学時代に学んだ学んだマーケティング、IT企業で身に付いた様々経験やスキル、そしてダイビング事業でのホームページ運営やマーケティング実務などの経験から、2013年頃からホームページ制作を新たな事業として始めました。
当初は簡単なホームページを作ることから始めましたが、お客様のところへ出向き、過去の経験などのお話や最新のSEO対策などのお話をさせていただくうちに、「定期的に来て欲しい」という大変ありがたいお話を複数の企業様からいただくようになりました。
その他にも、「あんなことはできないの?」「こんなことはでいないの?」などご要望をいただくようになり、ホームページ制作だけでなく、様々なサポートをさせていただくようになりました。
2016年には株式会社ピーク・トラックとして法人成りさせていただきました。
2022年 移転
ダイビング事業とホームページ制作事業を並行して行ってまいりましたが、徐々に事業の柱はダイビングスクールからホームページ制作にウェイトを移していきました。
そしてダイビングスクールを開業して20年目の2022年、ホームページ制作を初めて約10年経過し、ダイビングスクールを閉業いたしました。
しかしそれまで毎月欠かさずご利用いただいていた常連のお客様もいらっしゃいますので、現在は常連のお客様と一緒に月に2、3回ほどダイビングに行っています。
ホームページ制作を事業として始めたころから10年以上が経ち、制作したサイト数もすでに200を超えておりますが、その中でもお客様によってホームページに期待する効果や目的も様々であることに気付きました。
そのため、弊社ではホームページ制作をコンセプトの異なる3つのサービスに分けて運営しています。
また、ホームページ制作以外にも様々な自社運営のサイトを立ち上げておりますし、2024年にはマーケティング新たな枠組みとしてコーペラティブマーケティングを提唱させていただきました。
これらはすべて弊社のお客様である中小企業・個人事業の方々の悩みやご相談などを受けて生まれたものです。
これからもお客様とのコミュニケーションを大切にし、お役に立てるサービスを展開していく所存です。
株式会社ピーク・トラック
代表取締役 金井 篤史